ハイエンドウォッチの世界では、デジタルネイティブ、Z世代などと呼ばれる若い層への対応が、ここ数年、課題となってきた。それが最近、解決に向け光明が差しつつある。
一つはコロナ禍で各ブランドがデジタルコミュニケーションを加速させたこと。また若いリーダーたちの登場も見逃せない。
例えば、ミドルレンジの価格帯で好調なノルケインを立ち上げたCEOのベン・カッファー氏は1988年生まれの34歳。ショパール共同社長カール-フリードリッヒ・ショイフ氏の息子であり、ヒット作「アルパイン イーグル」を企画したカール-フリッツ氏は20代半ば。そして、もっとも注目を集めているのが、2020年にタグ・ホイヤーCEOに25歳で就任した、フレデリック・アルノー氏だろう。ラグジュアリーブランド帝国LVMHグループを築いたベルナール・アルノー氏の第4子にして三男に当たる。ちなみに、長女デルフィーヌ氏から長男アントワーヌ氏、次男アレクサンドル氏、四男ジャン氏までがグループ内の要職に就き、ファミリーでの経営体制が整う。
今年5月初頭、ややコロナの波が収まっていた日本を、ベルナール・アルノー氏が訪れた。ファッション・アート分野における日本企業とLVMHとの連携強化が主たる目的で、松野官房長官との会見の模様をニュース映像で見た人もいるだろう。これに同行していたのが、タグ・ホイヤーCEOのフレデリック氏だった。筆者は短時間ながら対面の機会を得た。フレデリック氏が初めて手にした本格的な腕時計はタグ・ホイヤーの「アクアレーサー クロノグラフ」で、それ以来タグ・ホイヤーを愛用し続けてきたそうだが、贔屓のブランドを任され、率直に意気に感じているに違いなかった。
とはいえ、タグ・ホイヤーは1860年創業という歴史を誇り、創業家4代目ジャック・ホイヤー氏や、時計業界の“リビングレジェンド”ジャン-クロード・ビバー氏ら、カリスマ的な存在がブランドを率いた。プレッシャーもあっただろう。
2017年からタグ・ホイヤーに籍を置き、CEO就任以降、メゾンのヘリテージをベースに戦略を強化し、ケースや仕上げのグレードも向上させてきた。今後は、アヴァンギャルドなウォッチブランドというスタンスを推進し、トゥールビヨンを始めとするハイエンドウォッチへの取り組みも充実させる構えだ。
その象徴的な存在が、今春のウォッチズ&ワンダーズ ジュネーブ2020でべールを脱いだモデル「カレラ プラズマ」だ。ラボグロウンダイヤモンドを、かつてない大胆な方法で採用し、ナチュラルダイヤモンドに置き換えるのではなく、それでしかできないことに挑戦した。
ラボグロウンダイヤモンドは、天然ダイヤモンドが生成される高温・高圧な環境を人工的に作り出すHPHTという技術によるものと、腕時計ケースの表面処理などでも用いられる化学蒸着(CVD)技術によるものとがあり、タグ・ホイヤーは主に後者を採用しているようだ。薄くスライスしたダイヤモンドをベースに、炭素を含有したメタンガスとマイクロ波を照射して徐々にダイヤモンドを成長させる技術である。
ダイヤモンドの模造石として知られるキュービックジルコニアなどと異なり、天然ダイヤモンドと同じ成分で、しかも管理された環境下で生成されるため、不純物を含まない。ジュエリー業界では、環境にも優しく、エシカルであり、天然に比べて30~40%低価格などのメリットからすでに認知が高まっている。
ウォッチ&ワンダースでの発表以来、筆者はまだ「カレラ プラズマ」の実機を目にしていなかったが、7月末、現状では世界に一つしかないモデルの“初来日”が実現し、対面がかなった。モータースポーツがルーツの「カレラ」のデザインコードを踏襲したブラックアルマイトケースには、ラボグロウンダイヤモンドをランダムにセッティング。文字盤は多結晶ダイヤモンドで埋め尽くされ、アワーマーカーに加え、リュウズにも2.5ctの大粒のラボグロウンダイヤモンドがあしらわれ、アヴァンギャルドで、エレガントで、ラグジュアリーなオーラを放っていた。
今後、徐々に生産数を増やし、継続的に販売していくという。現時点での価格は未定で、関心のある方は問い合わせられたい。タグ・ホイヤーのみならず、腕時計業界全体にとっても刺激となるモデルが、この若きCEOによって生みだされたことは収穫と言っていい。
まつあみ・やすし
1963年、島根県生まれ。87年、集英社入社。週刊プレイボーイ、PLAYBOY日本版編集部を経て、92年よりフリーに。時計、ファッション、音楽、インタビューなどの記事に携わる一方、音楽活動も展開中。著書に『ウォッチコンシェルジュ・メゾンガイド』(小学館)、『スーツが100ドルで売れる理由』(中経出版)ほか。